2011年

金竜寺・茨城県龍ケ崎市

2011.01.01

KINRYUJI

金竜寺本堂

龍ケ崎市若柴町の旧陸前浜街道若柴宿のはずれに曹洞宗の寺「金竜寺」があります。鎌倉時代、新田義貞の創建と伝えられ、江戸時代初期に義貞の子孫由良氏が上州太田から常陸牛久に領地替えとなり、寺も現在の地に移転したと伝えられています。境内には新田家代々の墓所もあります。
その後、由良氏には世継がぎ無く家は途絶えますが、寺は徳川幕府二代将軍・秀忠の保護により若柴の地に存続しました。江戸時代末期には火災にあい全堂が焼失するも地元の檀家達の力で再建され、その後も修理を重ねて現在に至ります。

QV4K

偕楽園

2011.01.03

UME

偕楽園の紅梅

偕楽園は江戸時代後期に、徳川御三家の一つである水戸徳川家の第九代藩主・徳川斉昭によって造られました。現代では、岡山の「後楽園」、金沢の「兼六園」と並んで「日本三大名園」のひとつに数えられています。千波湖を望む高台の地を切り拓き、「民と偕(とも)に楽しむ」場にせんという願いを込めてこの名をつけたと伝わります。
園内には約3千本の梅の木が植えられ、2~3月のシーズンには「梅まつり」が催され、多くの人で賑わいます。偕楽園に隣接して常磐神社があります。明治初期に第二代藩主・徳川光圀公(義公)・第九代藩主徳川斉昭公(烈公)の徳をしたう人々によって偕楽園内に創立された祠が発展して現在の神社になっています。新年の初詣客で賑わう頃、偕楽園の梅の木はほとんどがまだ固い蕾ですが、一部の早咲きの木は、寒風の下で花をつけています。

T700

業平橋・東京都墨田区

2011.01.10

NARIHIRABASHI

業平橋と建設中の東京スカイツリー

古今和歌集に撰ばれた在原業平の歌、
名にしおはばいざ言問はむ都鳥 我がおもふ人はありやなしやと
の場面が、隅田川の浅草付近とされていることから、東武浅草駅南東側にある吾妻橋は別名「業平橋」とよばれ、その周辺の墨田区側(東岸)の地域名「業平」の由来ともなっているようです。
そして墨田区業平にある、浅草通りが大横川に架かっていた橋の名が「業平橋」である。現在大横川は埋め立てられてしまい、親水公園となっているが、橋の設備自体は現存しています。
付近では「東京スカイツリー」の建設が進んでおり、昨年末に東武鉄道が伊勢崎線の「業平橋駅」を「とうきょうスカイツリー駅」に改めると発表しました。住居表示地名としての業平橋は無くならない様ですが、歴史の重みを持つ駅名は失われることになってしまいました。スカイツリーが完成して営業を始めるのは来春とのことですが、塔体自体はまもなく今年の3月にも634mの高さになる予定だそうです。

T700


最終更新: 2019/02/07
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